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寳珠院について

山号:御幡山(みはたさん)
院号:寳珠院(ほうしゅいん)
寺号:建長寺(けんちょうじ)
別名「赤門の寺」と呼ばれています

宗派は「真言宗智山派(しんごんしゅう ちさんは)」です
真言宗は、弘法大師・空海がお開きになられた宗派です
寳珠院の御本尊様は「阿弥陀如来」様です

寳珠院の寺伝

平安時代

1057年~
人皇第70代後冷泉天皇の天喜五年(1057)、鎮守府将軍「源頼義」が奥羽征定の砌、隅々この地に来り一樹の老杉に源家の什寶白旗を懸けて戦捷を祈願しました。そして、奥羽を平定しての帰路、戦功の霊を祈願する白旗を奉じて八幡宮(現在の六郷神社)を修造し、その傍らに一宇を建立し御本尊に阿弥陀如来を安置して寺名を御幡山と号す。これを以て、寶珠院の開基とされています。
以来、八幡宮の別当として司管し、また源家の祈願寺として尊崇されていました。しかし、鎌倉時末期、その間の寺碩不明なれどもいささか荒廃が進みました。

神仏習合の歴史を語る八幡大菩薩(本堂内・非公開)

江戸時代

1653年~
時は過ぎて承応2年(1653)、「弁栄」法印その荒廃を嘆き、十方有縁の浄財を募りに伽藍を復興に尽力を注ぎその完成を見ました。ここに弁栄法印は寶珠院中興開山の祖とされています。 爾来、鎮護国家の祈願道場、世人の信仰道場として寺運益々隆昌していきました。
後の将軍徳川家に於いても、神仏の威霊を尊崇されていたことから「御朱印地十八石」、「葵紋所の使用」と「長柄の乗輿」を下賜されたお寺でありました。

本堂の屋根には八幡神の神紋である「三つ巴紋」と徳川家の「葵紋」が見られる

近代

1905年~
かつて江戸時代、歴代住職は郷社八幡神社の別当を勤めて来ましたが、明治維新の神仏分離の布令に倣い、当院第16世「幡丸」が神職に転じてしまいました。そのため、当山は暫し無住となり、第5世日弁印修復(1728)以来の同宇伽藍は大破してしまいました。
明治38年(1905)第19世「智観」和上晋住するや、再建に誠意を傾注、大正13年(1924)その完成を見ました。
1978年~
現在の本堂は弘法大師1050年御遠忌を記念し、第20世「隆真」和上が発願、第21世「隆也」が十方有縁の壇信徒の浄財を募り建立されました。
昭和53年末に庫裡が完成、昭和55年には鉄筋コンクリート銅葺方形造の本堂も落慶し、戦後の法灯を守り続けた山容が一新しました。現在も宗祖弘法大師空海上人のご誓願宣揚と正法興隆に尽力、ここに地域の信仰道場としてその法燈一層輝きを増しつつ、現在に至ります。

現在の本堂

主な行事

3月

春彼岸

春分の日を中心に、前後3日、計7日間が春のお彼岸です。
仏さまとなった代々の先祖様が、私達を見守って下さることに感謝し、先祖を供養しましょう。

7月

盂蘭盆会(うらぼんえ)

7月13日14日15日は、ご先祖様が私たちのもとへ帰っていらっしゃいます。
各ご家庭では、精霊棚を飾り、仏様をお迎えしましょう。

施餓鬼会(せがきえ)

普く有縁無縁の精霊を祀って施食し、僧侶が供養します。
7月24日15時より法話、16時より法要が行われます。

11月

秋彼岸

秋分の日を中心に、前後3日、計7日間が秋のお彼岸です。
ご先祖様のお墓にお参りし、日々の感謝を伝えましょう。
境内散策へ